GUMKA工房記

GUMKAミニチュアの備忘録を兼ねた日常記です。

かき氷を食べた場所

まだ弟が、よちよち歩きをしていた頃だから、私が幼稚園生か小学校1~2年頃の夏のある日、祖父と祖母が、かき氷を食べに誘ってくれた。この季節に、いつも行く上野の不忍池の縁日(植木市)、あるいは、柴又帝釈天の参道脇かと思っていたら全然違う場所だった。

 
沢山の人がいる場所だったが、子供がほとんどおらず、幼いながらに緊張した。あまり記憶がないまま、祖父母に引き回され、御茶屋のようなところで、ようやく、約束のかき氷にありつけたときには、もう喉がカラカラだった。
 
かき氷を無心に食べる私に、祖父は、ゆっくり食べんと頭が痛とうなる、ゆっくり過ぎやと氷が溶けよる、とかいう話をし、正面に座った二人の満足気な笑顔は、不思議と覚えている。
 
 
 
浪人して、予備校通いをしているとき、付き合っていた女の子と神田の古書街に行ったら、イチョウの色づく季節だから、靖国神社へ寄ろうと彼女が言い出した。靖国通りを歩いて行くと、見えてくる大きな鳥居、玉砂利が敷き詰められた参道、脇の休息所…子供の頃、かき氷を食べた謎の場所はここだった。祖父と祖母は、小さな私を連れて、真夏の靖国神社に来ていたのだ。
 
馬鹿な小僧だった私は、長年の疑問が解けた喜びもあって、子供の頃、ここに来て祖父母とかき氷を食べたと彼女に話したら、私よりずっと賢かった彼女は、夏に来たなら、参拝だったと思うよ、戦争で亡くなった親戚とかいないの?と聞き返してきた。
 
彼女の母親のお兄さん、もし生きていれば彼女の伯父さんになるはずだった人は、学徒出陣で動員されて帰らぬ人となっていた。物心ついた頃から、お母さんに連れられ、靖国神社に来ており、ここに来ると、お母さんは涙を流しており、それが、とても悲しかったと話してくれた。
 
 
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「昔、かき氷を餌に連れて行ってくれた場所は靖国神社ですね」
 
祖父には、すぐには聞けなかった。誰と行ったんだ?と尋ねられるのが、こっ恥ずかしかったからだ。そんなモン、適当に誤魔化せばいいのに大間抜けである。
 
大学生の頃、祖父が入院し、病院にお見舞いに行ったとき、看病の祖母を交えてようやく、その話ができた。祖父は、私が覚えていたこと自体が、とても嬉しそうだった。
 
祖父は、ベッドに横になりながら、自分自身は、ああいう場所に行かなくても、思い出しさえすれば、戦死した友人や親戚に、いつでも会えるという考えだが、たまたまな…などと照れ隠しからか、変に斜に構えるようなことを言っていた。しかし、言葉とは裏腹に、いつか孫を連れて、きちんと参拝するつもりだったと祖母が教えてくれた。
 
あのときは、東京オリンピックが終わり、高速道路や新幹線も開通した時代で橋梁会社の重役として、がむしゃらに働いた祖父にとって、こんな子供が元気に暮らせる国に、日本は復興したんだぞ、という事を亡き友人たちに伝えるため、私を一緒に連れて行ったとのこと。
 
当時、拝殿の前で、私は不作法にも、ここはどこかと尋ねたそうだ。祖父は、ここは、おじいちゃんの友達が沢山いるところだから、手を合わせて、挨拶をしておくれ、と言ったらしい。私が、すぐ合掌してくれたのが嬉しかったと。
 
祖母が付け加える。
 
「おじいちゃんは、ここにくれば、みんなに会えるから、寂しくもなんともない。辛くても、また頑張れるとか、あなたに言ってたのよ。さっきの強がりが台無しね」
 
 
 
 
 
毎年、8月15日が来ると、靖国神社は閣僚の参拝が云々とか、公人か私人かとか、A級戦犯がとか、外交問題がとか、そんな事ばかりが報道される。学者先生や法律や政治の専門家、報道関係者にとっては重要なのかもしれない。
 
自身の思い出から、ここは戦争で大切な人を亡くした人々の気持ちが救われる場所なんだと思っている。