GUMKA工房記

GUMKAミニチュアの備忘録を兼ねた日常記です。

K300改め野戦炊事車PK


発端は今から約35年、パウル・カレルの東部戦線の写真集
「Unternehmen Barbarossa im Bild」に掲載された1枚の写真でした。

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おそらく、日本で公開された最初のソ連の野戦炊事車の写真だと思います。大半のモデラーは気にもしなかったでしょうが、東京都大田区西糀谷の片隅で呉光雄さんが「たぶん、ソ連軍のフィールドキッチンだよ。模型化されたらイイよね」

としみじみと言うので、もともと野戦炊事車は好きだったから「じゃあ、やりましょう!」と安請け合いしました。


当時はパソコンもメールもなかったので、さっそく東側の模型友達に手紙を出し、ソ連軍の野戦炊事車の資料ある?どっかに実車とか残っていない?」と尋ねたところ、ほぼ全員から「そんな物、興味ないから知らん」とつれない返事が。

まだ、IS-2やBT戦車すらプラモ化されておらず、先にキット化すべきアイテムが沢山あった時代ですから当然の反応です。


モスクワの中央軍事博物館の帝政ロシア軍を紹介するコーナーにパウル・カレル本の野戦炊事車に似た模型が「K300」として展示解説されており名前だけはわかりました。

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                                                     中央軍事博物館に展示されていた模型

帝政ロシア時代の19世紀末に制式採用されたK300は、基本的な形状を変えないまま第二次大戦中まで生産され、フレームの前部に収納箱、後部に調理釜というソ連野戦炊事車のスタイルを確立していました。

KP系列のKP-41/-42が自動車牽引式で金属フレーム、ゴムタイヤだったのに対し、K300は木製フレームで馬牽引、周囲に金属環を巻いた木製ホイールでした。

日露戦争では日本軍に鹵獲され、研究用に国内に持ち込まれており、フィンランド軍の野戦炊事車M29の原型ともいわれています。

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                        帝政ロシア時代の野戦炊事車

ただキット化する際には、この長期間生産されている点が仇になり、細部変遷が不明なことで、調べれば調べるほどわからなくなり、気にはなるけど、形にできないという状況が何年も続きました。

転機は昨年、KP-41のレジンキットを発売したことでした。ここ10年ほどで少しづつk300の情報も集まり第二次大戦中の生産型は、大概こんなだなと製品化できる程度に判明し、モデラーの性で、KP-41の横にK300も並べたいと思っていたところに年末の東京AFVの会で久々に呉光雄さんにお会いし、諸々、話すうちに大昔の安請け合いを思い出し、「今こそパウル・カレル本の野戦炊事車を立体化しよう」と決めました。

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                    大戦中の給食の様子

収納箱を作り、エッチングの寸法指示図をフェイスブックツィッターに上げていたら、それを見て、私が何を考えているかわかったロシアの友達から、資料がどっと届いたうえに「あれな、K300じゃなくて、PKだぜ」「中央軍事博物館の表記、間違いだった」という衝撃情報が…

実車の銘板が発見され、制式名称や生産工場が判明したそうです。

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                            PKの製造銘版

ずっと彼も情報を集めくれていました。持つべきものは友です。

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2月19日のワンフェス発売を目指していましたが、量産化とインスト作成が間に合わず、展示のみとなりました。ただ、間もなく販売できるので、西糀谷での安請け合いは35年前の歳月を経て実現できそうです。

ちなみにパウル・カレルの写真集のPKは、ソ連が深刻な金属不足に陥った1942年~1943年初頭の頃に生産され、金属製のラックは木製となり、車輪も外周に巻く鉄板を節約するために小径に変更されたモデルのようです。

なぜ、中央軍事博物館は名称を間違えたのか?の疑問ですが、PKの調理釜の容量は150リットルで、最大で300名分のスープを調理できます。制式名称ではないものの、現場では「300名用調理車」という意味でK300と呼んでいたのではないか?とのことです。